2001年12月4日号


本家の嫁は八面六臂
バランスとって空駆ける!

張 司紅(ちょう しこう)さん

中国、黒龍江省生まれ、北京育ち。1989年来日。福島大学経済学部大学院卒業。1994年アップリカ葛西株式会社入社。現在、妻として、母として、嫁として、北京アップリカの社長代理として、白石、仙台、大阪、北京、そして広東省中山を行き来する生活を送っている。
問/アップリカ葛西株式会社仙台店 
  仙台市青葉区一番町1-1-31 山口屋ビル7階 TEL022-224-1251



 昨年の日本滞在日数は141日。それ以外は、もちろん海の外で過ごしたことになる。そんな張さんの肩書きは、北京アップリカの社長代理。ベビーカーやチャイルドシートなど、赤ちゃん製品を専門に扱うメーカーで働く管理職である。白石に住むご主人と結婚を決めたとき、張さん自身はやめるつもりだったのだという。しかし、会社の上司から「あと、半年」と説得され、それならと承諾し、いつのまにか5年の月日が流れた。ご主人の口からは「だまされた」という言葉も出たらしいが、それが冷たい物言いでなかったことは、今の張さんの暮らしぶりが物語っている。
 北京育ちの張さんは完全なる都会っ子。白石で農業を営むご主人の実家での環境は、まったく人生はじめての経験だった。古くからの伝統が守り受け継がれてきた土地での生活。「炊きたてのご飯を、お仏さんにあげる前に自分で食べてしまって、おばあちゃん(義母)に怒られたりしたの」と笑う張さん。苦手だった畑の虫たちも、今では全然平気になってしまった。自分の力を信じ、勉学に仕事にと邁進してきた張さんにとって、田舎での暮らしはさまざまなことを教えてくれたそうだ。
 「しょうがない」という言葉は嫌いだった。「しょうがないことなんてない。一所懸命考えれば、絶対解決できる策は見つかるはず」。そう信じて生きてきたけれど、農業を生業としてきた人たち、つまり、ご主人のご両親の姿を見てきて、わかってきたことがあるという。ある年の秋、丹精込めて育てた柿が実り、さて干し柿をつくるということになった。全部の柿をやっと干し終えて、さて後はできあがるのを待つばかり。しかし、その年はあいにくの悪天候続き。残念ながら、すべての柿は干し柿になる前に腐ってしまった。そのとき張さんは両親から「しょうがない。また来年ね」という言葉をもらったのだという。自然を相手に生活をしていれば、「そう、しょうがないこともあるんだ」。張さんは、穏やかな気持ちでそのことが理解できた。
 「仕事が大好き。会社も私のことを大切にしてくれているし、自分が勉強してきたことを生かして、それで成果もきちんと出るから。それに、今の自分には、ここまでがんばって一緒についてきてくれた社員に対して、責任がある」と、張さんは話す。白石、仙台、大阪、北京と、飛び回る生活。「子どもたちも、お腹にいたときから飛行機に乗ってばかりいたからね」。そう、この5年の間に張さんは二人の男の子をもうけている。「かわいいでしょ」と言って見せてくれた写真には、お祭りのハッピを着た息子たちと、優しそうなご主人が写っている。4歳のお兄ちゃんは現在白石で生活。2歳の弟は北京で張さんの両親と暮らしている。普段は離ればなれ。お正月と夏休みだけを一緒に過ごすこの兄弟が、どんな風に育っていくのかも、これからの張さんの大きな楽しみの一つだという。
 新婚旅行から帰ってすぐ、白石の自宅にローンが30年も残っていることを知った。中国では、ふつうこのような長期のローンを組むことは考えられず、こんな借金のあるうちに嫁にきたのかと思うと眠れなくなってしまった。そのため、一晩で返済5ヵ年計画をつくり家族を説得し、かき集めた現金の束を抱え銀行に乗り込んで、お金を返したという話。余計なものが多すぎる日本の生活に檄を飛ばし、無駄遣い禁止令を家族に発令したことも。これら張さんのユニークなエピソードは、今後ゆっくりと時を経て、中国の大都会と日本の田舎の町を結んでできあがったこの家族の、小さな伝説となってゆくのかもしれない。


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