2001年10月16日号
鍛え抜かれた腕で、はるか上空のゴールを狙う!
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左より 椎名光男さん、佐藤倫彦さん、藤井新悟さん |
車椅子バスケットチーム |
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平成元年設立の「宮城クラブ」が、平成8年に現チーム名に改称され今に至る。現在、東北選手権5連覇中。国体後は新人の発掘・養成にも力を入れる予定。 第1回全国障害者スポーツ大会 |
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夕方6時。宮城野区幸町の体育館には、床を叩くボールの音と風を切って走る車椅子の音が鳴り響いていた。「宮城Max」は、車椅子バスケットの東北代表として5年連続全国大会に出場している有力チームだ。障害者スポーツというと、障害を持った人たちが無理なく楽しめる穏やかなスポーツという印象があるが、車椅子バスケットを間近で観るとこのイメージは見事に覆される。ゴムの焼ける臭い、車輪がぶつかって火花が散ることさえあるという。当たりがきついと転倒することもしょっちゅう。倒れた選手たちはヨイショっと腕を踏ん張って起きあがり、何事もなかったかのようにプレイに戻っていく。練習で手を抜くと、試合本番でのスピード感がつかめないから、いつでも全力疾走だ。
メンバーは現在22名。全員が社会人で、週3回ハードな練習に臨む。年齢層もかなり幅広そうだが…。「私は50歳ですが、車椅子バスケを始めて25年になります」と話すのは椎名光男さん。「それじゃ、俺はまだ生まれてないですよ」と応じた藤井新悟さんは23歳。「チームの中では、年齢とかあまり意識することはなくて、先輩後輩というよりはみんなライバルかな」という佐藤倫彦さんはみやぎ国体の仙台市代表チームのキャプテンを務める28歳。佐藤さんに、車椅子バスケを始めたきっかけを尋ねると、「入院しているときに誘われて。始めはまったくやる気なかったのですが、無理やり連れてこられた(笑)。実際に見てびっくりしました。こういうことができるんだなあって」。交通事故に遭って、これから車椅子の生活になるという現実を受け入れなければならない、ちょうどそんなときだった。「車椅子バスケと出合わなかったら、こんなふうには立ち直れなかったかもしれません」。「佐藤は、バスケのおかげですっかりマジメになって、最近は小学校や中学校で、車椅子バスケのデモンストレーションをやっているんです。昔の彼からは考えられないです」と椎名さん。「それじゃ、昔はよほどワルかったみたいじゃないですか。人聞きの悪いことを言わないでくださいッ(笑)」。チームに入るまでバスケの経験ゼロというメンバーばかりの中で、唯一の例外が藤井さんだ。経験があるからこそ、始めは車椅子でバスケをするなんて信じられなかった。もどかしさもあった。「ジャンプができないでしょ。ゴールの高さはふつうのバスケと同じだし…。でも、今ではこっちの方が絶対面白いと思うようになりました」。目標はアテネのパラリンピック、そう話すと日本代表入りを目指す若きホープは一刻も惜しいという様子で練習に戻っていった。
車椅子バスケの選手は、障害の重さによっていちばん重い1から最軽度の4.5まで持点が決められている。そして、チーム力に格差が出ないように、出場する5人の持点合計は14以下でなければならない。だから、メンバー交替も単純にはいかない。同じ持点のメンバーは常に出場のチャンスを争うライバルだ。ところで、車輪がハの字に開いた専用の車椅子は、車輪の角度や座席の傾斜などがそれぞれに違っている。一人ひとりに合わせて作られる完全オーダーメイドだから、たいへん高価なものだそうだ。
みやぎ国体本番も近い。抱負を聞くと「優勝です」。佐藤キャプテンから即座に答えが返ってきた。仙台市が政令指定都市であるため、宮城Maxは宮城代表と仙台市代表のふたつに分かれての出場となるそうだ。休みなく車輪を漕ぎ、座った姿勢からシュートを決める。そうとうな筋力が必要だ。鍛え抜かれたメンバーの腕は素晴らしくたくましかった。
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