2001年4月24日号
絢爛豪華、祭り一色の
春の宵の城下町
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水沢火防祭 |
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写真左 小野義一さん(69歳) |
「私は呉服商なので京都に知り合いが多いんですが、京都の人たちに水沢の日高火防せ祭りを見せるとびっくりされるんですよ。そのくらい華やかなんです」と日高神社火防祭保存会会長の小沢正幸さん。祇園祭りを見慣れた京都の人でも驚くほど、スケールが大きくて絢爛豪華。特にハイライトのはやし屋台相打ちは会場の駅前広場に見物客が入りきれないほどで、整理のために観覧席を設けているとか。
その名の通り火防祈願の祭りである。300年の伝統を持つといわれているが、正確な年代はわからない。江戸時代初期の明暦大火(振り袖火事)のとき、江戸にいた藩主が大火の恐ろしさを目前に見て、水沢に戻ってから消防組織を強化したのが最初とも伝えられる。
水沢は火事が多かった。小沢さんが子どものころ「七軒小路」と呼ばれる町の一画があった。「火事で町はずれの7軒以外全部焼けてしまったから、そんな名前がついたという言い伝えがあるそうです。100戸から500戸以上焼けた大火は江戸時代だけで何度もあり、それが地名になったと言います」。明暦大火の百年ほど後には佐々木佐五平が江戸で町火消しについて学んできて、民間消防隊を創始している。いずれにしても代々の藩主が熱心に火防に取り組み、日高妙見神社の日(火)と、同敷地にある瑞山神社の瑞(水)に通ずるとして、両社への火防祈願になった。
祭りの中心は、はやし屋台、打ちばやし、町印の3つ。現在は9つの町内から9台の屋台が出るが、そのうち6台は藩主に与えられた町印を持っている。町印の竿の先には火の象徴である赤玉と水の象徴であるバレンを付け、それぞれの町の屋台の先頭に立つ。その後ろが打ちばやし。大太鼓、小太鼓の子どもたちが笛師とともに屋台に乗ってトットコメエと呼ばれる音曲をかなでる。さらにその後ろははやし屋台。本来は脇役だったはやし屋台は明治以降主役のようになり、町家が栄えるにつれ競争しあって豪華になっていった。はやし屋台の音曲とトットコメエは古趣豊かな格調高いもので、岩手県の無形民俗文化財に指定されている。
祭りの音曲を支える「笛の会」会長・小野義一さんによると、昔は旧正月の22日だったとか。「私は在の農村に住んでいたんですが、農家の人たちが町場に繰り出して、縁起をかつぐ芸や音楽をやってご祝儀をもらった。松の枝にヤカンをぶら下げて『まちを焼かん』なんて語呂合わせみたいなこともありました。火防せ祭りで1年をしめくくり、また新しい1年が始まる。このお祭りに出ると無病息災だともいわれたんです」。はやし屋台の上では着飾った少女たちが優雅な音曲をかなで、屋台の下では近隣の農家の人が舞い狂う。そんな光景が昭和35年ころまで見られた。戦争前後の不況のころには、もらったご祝儀で年を越した人もあったとか。今は4月29日に行われる祭りは昔は旧正月行事のひとつで「火防せカセドリ」と呼ばれていた。町を火から守ろうとする祈りに加えて、人の心の底にある新年の祈りを含んでいる。そして今も、45歳と25歳の人で作る厄年連の賛助出演が欠かせない。
当日はしきたりにのっとって祭りが進行、朝に日高神社で祈願のお守り札を受け、消防団のまとい振りを先頭に午後1時半からパレードが始まる。「柳町では町火消しの創始者佐々木佐五平の像に礼拝します。クライマックスは夜。あたりが薄暗くなって屋台のぼんぼりにいっせいに火がともると、それはきれいですよ。屋台どうしが向き合って音曲をかなで合う相打ちのみごとさは、口では説明できない。一度見に来てください」。小沢さんは力説する。日時/前夜祭4月28日 夕暮れ〜21時
本祭り4月29日 8時30分〜、
パレード 13時30分〜、
相打ち 19時〜
場所/岩手県水沢市中央部各所、相打ちは駅前広場
問い合わせ/TEL0197-23-4021(日高神社)※宿泊希望者のため当日は1泊2食付 旅館6500円、温泉8500円で統一料金(TEL0197-22-7800 水沢観光協会)
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