2001年3月30日号
渾然一体となった
桜の華やかさと農耕馬の生活力
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わくや桜まつり |
達曽部
義美さん(42歳)涌谷町産業振興課主査兼観光係長 |
桜が咲くと、何はさておき浮かれたくなるのが人のつね。涌谷は桜の町である。桜の数が多いだけでなく、桜にかけた人の思いもまた多い。高台にある城山公園からは、おびただしい桜が一望できる。夜桜も格別で、電飾に浮き出た桜並木が江合川の川面に映るのは、幻のような美しさだ。
「町をあげての花見の歴史は古いんですよ。江戸時代の後期、水と山を楽しむことから『二楽亭』と名付けられた城主のお茶屋を、桜のころに庶民に開放したのが最初だったそうです」と涌谷町産業振興課の達曽部義美さん。二楽亭は明治維新後に取り払われ、少し離れた城跡に涌谷神社が建立された。城山公園はここにある。伊達騒動で有名になった伊達安芸の居城跡だけに、前には大河、後ろには崖、桜の多い涌谷の中でも、城山からの眺めはとりわけすばらしい。伊達安芸の命日4月27日をはさんだ3日間が、かつては祭りのピークだった。
堤防の桜は昔は両岸にあったが、川の補修工事で片側が全部切られてしまった。明治30年に植えられた城山公園の桜は、戦後米軍が進駐したとき、米軍に切られるとデマが飛んで、それよりはと町民が切って薪にした。現在の桜はそれ以後のもの。植えられ方も切られ方も、人の暮らしに重なっている。
暮らしに重なる桜だから、桜まつりも一味違う。最大の呼び物はなんと輓馬競技大会。各地から集まった馬が、馬力に応じて100貫(375キロ)から260貫(975キロ)の荷を引き、障害を設けた100メートルを走ってタイムを競いあう。人馬一体、人が必死なら馬も一所懸命で、舞い散る桜吹雪をあびながら江合川河川敷の特設コースを走る。昨年の出場は48頭だったが、以前は100頭近く参加して、予選で落とさないと間に合わなかった。
「農村地帯でしたからね。馬が多かったんですよ。おらほの馬が一番いい、いや、おらいのほうがすごい、んで競走させてみっぺ、というのが最初だったんじゃないでしょうか。馬だって飼い主に期待されればやらなきゃと思うし、勝てば嬉しい。昔は全国から博労が集まって、泊まりがけで馬の品定めをしたといいます」。
本格的な田仕事シーズンをひかえての、馬の体力訓練を兼ねた競技会だ。農作業が忙しくなる前に、桜の下で人も馬も春の一日を楽しむ。達曽部さんの家にも、達曽部さんが子どものころまで馬がいたそうだ。田仕事にも山仕事にも馬は欠かせず、どこの家でも飼っていた。今でも機械が入れない山には馬が使われることがあるとか。
東北では最初に始まった輓馬大会だ。地元にそれだけ人や馬が多く、支える経済力もあったのだ。遠田郡最大の城下町、仙台や石巻と街道で結ばれていたほか、江合川を通って運ばれる物資の集積所でもあった。馬はトラクター兼コンバイン兼自家用車。人は馬を大事にしたし、また馬も人に親しんでいた。
良い馬を手に入れたいという人が、目の色を変えて見にきた。とりわけ売ろうと思わなくても、実績を積めば馬の格が上がる。飼い主も必死だった。昭和14年に愛好者の会が開かれ、同25年からは輓馬競技大会として定着した。以後毎年行われ、今年で51回目になる。
満開の桜と農耕馬の日常的な力強さ。花が夢幻なら馬は生活そのものだった。最近になってからでも、祭りの形は変わった。だが人は、どんな心配ごとを抱えていても、桜が咲けば花の下に集まった。現実の苦労をいっとき忘れて花に酔う。桜と馬の祭りは、形は変わっても、これからもずっと続いていく。日時/4月15日 パラパラコンテスト、歌謡ショー
4月21日 夜桜花火大会、
4月22日 東北輓馬競技大会(9時30分〜)
4月29日 鯉のつかみ取り大会
場所/宮城県遠田郡涌谷町城山公園、江合川左岸河川敷
問い合わせ/0229・43・2111(涌谷町産業振興課)
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