2001年1月16日号
大ろうそくの炎に浮かぶ500年の伝統能
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黒川能 |
清和庄右衛門さん(73歳)櫛引町郷土文化保存伝習館館長。農業。 問/TEL0235-57-4634 (伝習館) |
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「風景は思想である」と言った詩人がいた。黒川ほどそんな言葉がぴったりする土地はない。東に月山、北西に鳥海山。神の山に囲まれた農村地帯を車で走っていると、なるほどこの土地だから神事能なのかと、すとんと納得した気分になる。
2月1日・2日の王祇祭に向けて、物忌みと精進に入った雪の黒川は静かだ。今でも関係者は、神に能を奉納するために長い物忌みをする。
「3月の祈年祭、5月の例大祭、7月の羽黒山花祭り、11月の新嘗祭、季節の能は何回かありますが、中でも王祇祭が最大の行事です」と、櫛引町郷土文化保存伝習館館長の清和庄右衛門さん。生業は農家で、代々囃子の太鼓を受け持ってきた家筋だ。
「ほかの能は年中行事。でも王祇祭には生まれてから死ぬまでずっとかかわります。祭政一致とでも言いますか、暮らしと結びついて切り離せません」。能の組織が地域を運営する組織とほぼ同じ。黒川は春日神社を中心に発達した土地で約400軒の家があり、そのうち250軒が春日神社の氏子。少し前までは全員が氏子だった。
黒川能の起源は500年前といわれるが、能としての形ができる前から、原形のようなものがあった。現存する能のどの流儀にも属さない独特の形や、中央では消えた演目なども多数残っている。国指定重要無形民俗文化財。黒川は小さな土地だが、黒川能はその小さな土地の郷土芸能の域をはるかに越えて、広く全国に知れ渡っている。特筆すべきは、農家の人々が生業に励みながら何百年も続けてきたことだ。
演ずることのプロではなく、土を耕すプロの芸術。だから自然に神が大事にされた。王祇様は春日神社から降りてくるが、春日神社の後ろには月山がそびえ、水を恵んで里を守ってきた。山は神と同じだった。王祇祭は神に豊穣を祈る祭りでもある。
ひと月前の1月3日におおよその手順が決まり、本格的な稽古や物忌みもこのころから。祭りの中心になる当屋をつとめるのは、黒川の人には最大の名誉だ。当屋でふるまう御馳走も膨大で、別名豆腐祭りと呼ばれるほど豆腐を使う。多い年は大豆だけでも十俵、これを豆腐にひいて、20〜30人がかりで特大の囲炉裏で焼く。一気に冷やして凍み豆腐にし、祭りまで保存する。
祭り当日は氏子の総会が持たれ、座狩や当乞などの式を経て王祇様をお迎えする。能が演じられるのは夜になってから。幼い男の子の大地踏みで始まり、式三番、能五番、狂言四番と、上座・下座それぞれ夜を徹して舞う。昔から上座・下座のふたつがあって、競争しながら芸を磨いたのも、黒川能が長く続いてきた要因だとか。翌日は仮眠する間もなく春日神社へ。王祇様をかつぎ上げて、上座・下座、どちらが早く着くか、凍った石段を競争で駆け登る。静と動、寒さと熱気。大ろうそくの火に揺れる伝統能と、王祇様のお供をして粉雪の中を叫び歩く若者たち。黒川全部が祭り一色、能は生活と信仰そのものだった。
子どものころから稽古を始め、地道な努力を重ねて、少しずつ上達する。田の草を取りながら練習するなど珍しくなく、熱心な人になると夜の寝言まで謡でやるとか。
「生活の形が変わってきました。後継者難もありますが、教えるおとなが忙しくなっている。祭りと切り離して能だけ大事にすることはできません。能の心をどんなふうに伝えていくか。難しい課題です」。能が暮らしと一体だった土地だけに、生活の変化による影響も重い。だが風景が思想なら、山と平野があるかぎり能の心はきっと伝わっていくだろう。
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